じぶんの内側にあるもの

そういえばこの1年、読書らしい読書をしていない。読書どころか本をあまり読んでいない。これはまったく自慢にならないけれど。

以前はわりと本を読むことが多く、それはどちらかというと自分の中に足りないものを補うための答え探しだったように思う。
仕事柄、そこまで専門的なことは求められないにしても、広く浅く知っておくことが必要な立場だったから、ないものを吸収したくてひたすらに本を読み漁った。

それ以外にも心が迷うときにはいつも本屋に立ち寄り、答えを探すことが多かった。先に経験している人の書いた体験談は、自分にとって勉強になったし先に進むための目印のような存在でもあった。

この1年、本屋に行く機会はあった。実は数冊はこれはと思うものを選んで購入したのだが、ほとんど目を通していない。おそらくそこには自分が探している答えがなかったのだろう。

実は5年位前に、社内であらたな「ブランド」となるものを作りたい、と提案したことがあった。結局それはかなわなかったのだけれど、その時「自問自答が足りない」、という言葉をいただいたことがある。
その理由が今はよくわかる。
結局その時提案していたものは見てくれだけで、中身が伴っていなかったのだ。自分が誰に何を提供したいのか、どんな貢献をしたいのかがぼんやりとしていた。

この1年は自問自答の繰り返しで、答えは自分の中にしかなかった。だから本を読んでもなにを見ても、自分が何をしたくてどこに向かうのかなんて、指し示すものはなかった。まさしく自分との対話をひたすらすることでしか答えが出なかった。

今も私のそばには「自分との対話を大切に」と叱咤激励してくれる人がいる。正直その作業は苦しいし、いやでも自分と向き合うことになるから、自分のいやな部分にも目を向けることになる。だけどそれがないと、先に進めないことも痛いほどわかっていて、なかなか前進できない自分にちょっとあきれたりもした。

誰のために貢献したいかがわかった今、ようやくすこしトンネルを抜けられたような気がしている。自分が提供したいものが、決して「花」や「ブリザーブドフラワー」ではないことに気づけたから、もう大丈夫。

そんなことを想いながらも、時々は道に迷うんだろうな、なんて予感もある。

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