みなづきを見ると思い出す人
京都の仙太郎さんの和菓子です。
以前より家族全員こちらの豆大福の大ファン。ふっくらとした黒豆と、何とも言えない塩味のきいたお餅が絶妙で、おなか一杯でもパクパク食べちゃえるくらい大好物です。
今日は豆大福の代わりにあんころをお取り扱いされていました。
このあんころというのは、土用の入りに食べると暑さを乗り切れるといういわれがあるそう。そして今年の土用の入りは7月20日。たまたまですが、なんだかラッキー。すでにバテバテの私にはピッタリのお菓子です。
こちらはみなづき。
室町時代の宮中では、夏の健康のため氷のひとかけを食べて夏バテを予防したのだそう。
だけどその時代、夏の氷は大変貴重なもの。庶民は当然口にすることもできない。
そこで誕生したのがこの水無月だそうです。
氷のかけらに似せた三角形。氷のような半透明の台座に邪気払いの意味で小豆が上部にのっています。
6月30日には夏越の払いの神事にちなみ、京都の人はこの「みなづき」を食べる習わしがあるのだそうです。はじめて聞いた時は京都らしい素敵な風習だな、、、と思いました。なんというか1つ1つにストーリーがあって素敵。
以前この風習について教えてくださった人は、今はもう別の会社にいらっしゃるのだけれど、このみなづきをみるといつもふと頭に思い浮かぶ。
もともと外資系の会社にいらっしゃり、キャリアウーマンが雑誌からポンと抜け出してきたような方で、これまでの私の人生ではあまり交わることのない雰囲気をお持ちの方だった。外資系とはどんなものかがいまだわからないけれど、やはり結果を求められるというところはものすごくシビアなものがあるのだと思う。そういった意味で、仕事と向き合う厳しさもまたこれまでとは違ったものを教えていただいた。常に品格をまとっている方だったので、自分にはないその魅力にもあこがれがあった。
不思議とその厳しさの中に優しさを感じることも多く、言葉は厳しくとも自分のために言ってくださっているのだということもわかった。
主に「人」にまつわることを学ばせていただくことが多く、自分が知らない世界をたくさん経験されている方だった。「もの」はともかくとして、「ひと」に対しては取り返しのつかないこともあるから(というかほとんどがそうだ)丁寧に、慎重に、それでいて誠意をもって向き合うことの大切さを知った。あれは本当に貴重な体験だったと思う。
自分のこれまでの経験では知ることのない見識をもった人と話すことはとても新鮮で刺激になる。
もちろんその考え方を聞いて、「なるほど」と納得できることもあれば、そこまで自分の経験も想像力が追い付いていなくて「今の自分にはまだわからない」みたいなことも多々ある。けれど人の考えを知るということは自分の世界が確実に豊かになることも知っているから、わからなくても聞いてみたい。そういう欲求はもしかしたら私は人一倍強いのかもしれない。
「6月30日になると京都の人はみなづきというお菓子を食べるのよ。」
エレベーターホールでそっと教えてくださった人のことをこのお菓子を見るといつも思い出し、自分の世界が広げてくださったことに感謝せずにはいられない。お元気でいらっしゃるといいな・・。