ごはんが出てくることのありがたさ

ここ最近は夕方早めに切り上げて、夕飯の準備に少し時間をとることができています。
とはいえできるだけ早く手間なくできる時短料理!!の思考は相変わらずで、今日も一石二鳥メニュー。
残ったシチューをグラタンに。
うまうま。

実家に住んでいるときは黙っていても朝昼晩とご飯がテーブルに並んでいた。
あれってほんと当たり前みたいに享受していたけれど、ぜんぜんあたりまえのことじゃないと今になってわかる。

そういえば、小さいころから母はとにかく食べ物に気を使っていた。
小学生くらいのころ、私にとってラーメンとかめちゃくちゃあこがれだった。食べることが許されていたのは、母の手作りのどんぶりに野菜が3分の2くらい入った薄味ラーメン。もちろんおいしかったけれど、なんかこうザ・ラーメンみたいなものをたべたことがあるお友達はめちゃくちゃうらやましかった。大人になったらきっとラーメン屋さんのラーメンを食べたいと真剣に考えていた。
ポテトチップスなんかも、今だとばりばり食べちゃいますが、うちでは自然派の薄味のチップスしか食べることを許されなかった。
あのときは「ちぇー・・・。」なんて心の中で思っていたけれど、(もしかしたら顔にも出ていたかもしれない・・)子供たちの体を気遣ってのことだったんだろうなぁ・・。

今もなにかしらおかずを作ったといっては持ってきてくれたり、母のお友達の畑でとれた野菜(今はキューリ・トマト)やお米、卵なんかをとどけてくれて、我が家はちょっと買い足す野菜と調味料以外はあまり食費がかからない。
ほんとはこちらが気遣うべきなのに、いくつになっても親とは本当にありがたいものだと思う。

親孝行、できるかな。


Life

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