働き続けるわけ④

花屋で働く後輩たちの人生の選択肢が様々あって、それを自由に選べる時代になるといいな、と思っていた。
私のやるべきことは、企業に属した状態で、母となった女性が「わたし」というアイデンティティを失うことなく生き生きと活動できるような環境をつくるための糸口をみつけること。細い糸を手繰り寄せるような気持ちだった。これまで先輩たちが開拓してくださった道を、わたしも少しでも進めたいと思っていた。

〇〇ちゃんのママ・〇〇さんの奥様、と言われることは幸せなことだけれど、心のどこかでただ一人の人間である自分を失いたくない、という思いから、仕事をするときには旧姓のまま働いた。同様に、結婚されて名字が変わった同僚や後輩に対しても、敬意を込めて旧姓で呼び続けた。もちろんこれは私の勝手な判断だったけれど、それでも社会に出て戦い続ける同志に対しては、それまでと同じように彼女自身のアイデンティティを失ってほしくない、誇りをもって社会に貢献し続けてほしいな、と思った。あなたは必要な人だから、と、私が思われたかったように、みんなもそうなんじゃないかと勝手に想像したりした。

結果的に今回自分は外に出ることを決めたけれど、それは両立が難しかったからということが直接的な理由ではない。
いや、告白すると多少きついな、と思うことはあった。けれど自分の選んだことで、苦しくとも楽しみがある中では辞める理由もなかった。
一番の理由は自分の価値観の変化が原因だったと思う。
子供が成長するにつれて、「少し他とうちは違うようだ」ということや、繁忙期にはほとんど母親が家にいないことに対して「さみしい」という感情がうまれていたのは明らかだった。基本的に楽観的で陽気な性格。おばあちゃんの家をセカンドハウスみたいな感覚で「ちょっとばぁばのところいこうかな」みたいに気軽に行き来をしていて、私が働き続けることに対しても応援してくれた娘だ。何歳のころだったか、保育園でまだまだ小さい頃に、「ママは仕事続けてていいのかな?スーにさみしい思いをさせていない?」と尋ねたときに、「ママがやりたいんでしょ。やりたいならいいよ。」「だってママお仕事好きなんでしょ。」と、どちらが親だかわかんないような答えをくれた。小さな子供が自分を気遣って、優しい言葉をかけてくれた。それだけで頑張ろうと思えた。
そんな菫が成長するにつれて感じる「さみしい」という感情を、私自身も見逃すことはできなくなっていた。これは私の中でこれまでだとあまりなかった判断だったと思う。子供が1歳の時の母の日。店に来てくれた夫と娘に思わずかけよった。けれどお客様の行列を見たときに仕事人のスイッチが入ってしまうどうしようもない自分。そばを離れようとしたときに子供が泣き出したというのに、振り切って売り場に立つことをいとわなかったあのころとは全く違う気持ちが今の自分の中に生まれていることに気づいた。
それは、年月が経って自分の価値観が少しずつ変化していたからだと思う。自分にとってこれは心・感情の成長だったと今はわかる。自分自身のことならともかく、誰かを犠牲に成り立つ幸せなどないこともこれまでの経験上私自身身に染みてよくわかっていた。だから今自分は変わらなければならない、と心の底から思った。
同様に、この感情もこれから後輩が感じることになるかもしれないもので、私が見つけるべき答えはもしかしたら今いる場所の外側にあるのかもしれない。そう思いさえした。

ちょうど同時期に、ずっと頭で描いていたこんなものがあればもっと幸せな人が増えるんじゃないだろうか、ということを具体的に形にしたいという気持ちが心の奥にずっとくすぶっていた。だけど自信のない自分のこと、私なんかにできるわけないよね、みたいな心の中の葛藤が約3年ほど続いていた。だけどこれを機に、もうそろそろそういう後ろ向きな考え方とはさよならしたい。私はもっと自分を含めてかかわる人を幸せにするための努力をすることに時間を割くべきだ。自信がないなんて言ってる暇があれば、何か行動を起こすべきじゃないだろうか。と考えるようになっていた。
安定を求める臆病者の自分が、こんな選択をするとはつい2年前には全く想像していなかった。

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