働くようになってからわかったこと①
子供のころ、父と遊んだ記憶がほとんどない。
年に数回ある大きなお休みなんかは泊りで母方の祖父の家にいくこともあったし、母方の兄妹(6人!)がとても仲が良いこともあり、その子供たちの私たちいとこ総勢10名も仲が良く、大人になるまでは年に1回は2泊3日の(もしくはそれ以上の長い)旅行なんかにもいっていた。そんな時はもちろん父も一緒にいたけれど、私たちも子供同士で遊ぶのに夢中なので、結局父も親同士で話したりテレビを見てのんびりしていることが多く、ほとんど家族としての交流みたいなものはなく、それぞれがそれぞれ楽しんで家路につく、ということが多かったように思う。
父は休日もほとんど家にいなくて、なんだったら休みの日も接待ゴルフで、まだまだ日本も高度成長期以降勢いがあったと思うし、いまよりもっと男性が働くべきという時代で、このころの「働く父親」というのはもしかしたらどこも同じようなものだったかもしれない。
父が働いてくれて私たち家族を養ってくれていたことはなんとなく理解していたけれど、正直なところ何をしているのかはよくわからなかった。
会社の名前を聞けば「あぁ、ふむふむ」とわかるけれど、売ることとか作ることとか、子供にとってわかりやすい仕事ではなかったので、結局のところはスーツを着て毎日同じ時間に家を出て、夜遅くに帰ってきてお休みの日もお仕事をしていて、働くってきっとたいへんなことなんだなぁ・・・と子供心に思っていた。
だけど私自身が「仕事」や「働く」ということに対してネガティブなイメージがないのは、その時の父がきっと大変なことがあったりいろんな思いもあったのだろうけど、それもほとんど家では出さない人だったのと、休日の接待ゴルフは本気で楽しそうだったので、きっと家に帰りたくなくなるくらい仕事って楽しいんだろうな、と、あってるけれど少しずれたキャッチをしていたかもしれない。仕事はもちろん真剣に取り組んでいたのだと思うけれど、休みなのにわざわざ行く仕事の一環であるゴルフもプロを目指すのかな?と思うくらい本気で取り組んでいるのを見ていてわかったので、はまっていたのは間違いない。
そんな父を見てきたから、働くなら好きなことをと思って花屋になった。
人生の大半を費やすことになるのだったら、絶対楽しいことでなければ続かない。
今になってそれが実感としてわかるけれど、じつはそれまでに迷う時期もあって、好きかわからないけれど時給がいいからとかたまたま募集があったからやってみたアルバイトなんかもいくつかあるが、どれも続かなかった。飽き性な自分がこれだけ続けられたのは、花屋という仕事が「もうできた、完璧!」と思えるゴールがないものだからかもしれない。