繋がること
今の会社に入社してよかったことは、心の置けない仲間と出会えたこと。
これはもう、一生ものだと思っている私の人生の宝だ。
もともと一人でいることが好きな私は、おそらく独特の距離感で人と接することが多い。
完全に無意識で悪気はないのだけれど、ありがたいことにまわりがそれを自然に受け入れてくれているひとばかりで、なんというか自由で自然でいさせてくれる優しくて心地いい仲間が多い職場だった。これは入社した時からそうで、自分よりも先に巣立っていった仲間もそうだったといえる。
例えばSNSについての価値観がちょっと特殊だと思う。
今みんなが普通に使っているコミュニケーションツールアプリを使っていない。
今思えば周りの人にとっては不便だっただろうと申し訳なさも感じるけれど、やらなかった。上手にこのツールとお付き合いする自信がなかったからだ。それに私の性格を考えれば、もともと人からの行動に対して丁寧に答えたい思いが強い。気軽なやり取りをうまくできそうにもなかった。
多分一生相手が気になって、眠れなくなる予感がした。
もしかしたら四六時中人のことばかり考えて、自分のことを考えることは今以上になくなってしまっていたと思う。便利なことはわかっていたけれど、私の性格を考えると気になって仕方ないんだろうと思い断念した。
ちょうど産休明けに職場復帰したころにSNSの発達は著しく、その兆しはあったと思う。
どこでもだれとでも繋がれる時代。
もとめていなくても強制的にやってくる情報。必要かどうかをまず最初に分別することが当たり前の作業になる。
当時の私といえば、慣れないことに四苦八苦、休んでいた期間の空白を取り戻すことや自分の存在意義の確認、母としてやるべきこと、家庭においての妻としての役割は、と、だれかに何かを言われたわけでもないけれど、それはそれは必死だったように思う。必要なんだといわれるために、期待に応えられる自分でいたいという欲求は、今より断然大きかった。望んでフルタイム勤務での復帰をしたし、4月からの完全復帰にむけて、子供と離れる練習をするために、2月ごろから無認可保育園に子供を預ける練習なんかもしていた。今思えばなぜそこまで必死だったのだろうと思えるけれど、多少自己肯定感が低く自信のない自分は、それくらいやらないと認めてもらえないだろうし、そもそもこの会社で働きつづけたいという自分の思いが強すぎて、とにかくがむしゃらだったように思う。
そういう自分の心のバランスをとるためにそこには手を出さず、線を引くことで自分を守っていたのだと思う。
今思えばその時の必死さは無駄ではなかったと思うし、だからこそ気づけたことも多かった。
仕事は一生やっていきたいし、社会の一員として貢献し続けたいと思う。
だけど仕事がすべてではないこともこの年齢になるとわかる。それがわかった今の自分なら、上手にSNSともお付き合いできるのかな、とも思える。
さすがに数年前の自治会の班長だった年に、20人くらいの集まりで連絡を取り合うときに、そのツールを使っていなかったのが60歳代の男性2名と私の3人だけだったことはちょっとした笑い話だけれど、そもそも気軽につながること自体自分は求めていなくて、つながる人は人数が少なくていいしできるだけ大切にしたいな、と思っている。メールも電話も気にせずに、今まさに向き合っているその人に向けて時間を共有できることが幸せなことだと思う。
距離が遠くとも、いつも連絡を取り合っていなくても、大切に思っているかどうかは心の濃度が大切なんだとおもう。
そんな風に思うと、そんな人達に出会わせてくれたこの会社には、やはり感謝しかない。