あたらしい遊び
子供の発想はいつも自由でクリエイティブです。
これはこうじゃなきゃダメとか、〇〇すべきとか、そういった概念に縛られずに自由でいるやわらかい感性。
つくづくうらやましい・・。
人の目を気にせず、自分が楽しいと思うことをしたりその手でつくりだしたり。
誰にも迷惑かけることなく、自分の世界の中でしばりのない表現をして楽しんでいる。
これってこういうふうに使うものじゃないからね、じゃなくて、「あたらしいなぁ」と声をかける夫も娘の自由な感性を許容してくれる強い味方だ。
ふと思い出したことがある。
大学に通っていた時、絵画について学ぶ授業があった。
それは絵を描く実技ではなく、1枚の絵を見ながら画家の半生や心理などを考察するといったとても興味深いもの。私は正直なところ美術にうとく、なんとなく面白そうという理由で選んだ科目だったけれど、今思えばそれがとても面白かった。
その授業を受講するまでは、私でさえ知っているかの有名なパブロ=ピカソは、「ゲルニカ」のようなおおよそ私のような平凡な人間には理解しがたい突き抜けた作品を描く画家、といったイメージでした。ところがこの授業で、正しくお手本とも思えるようなピカソの初期の美しい作品を知り、「え、なんでこんなに上手に画を描いていたのに、ここに行きついたんだろう?」と驚きました。
先生が授業の最後に教えてくださった、「やっと子供のように描くことができた」というピカソの言葉にハッとした。
彼が本当に描きたかったのは、人から評価されるためのものではなく、ましてただ奇をてらったものでもなく、純粋に絵を描くことを楽しんだ子供の心でかいた画。頭をガツンと殴られたような気持ちになった。
もちろんピカソは異次元すぎて、自分と比較のしようもない。
だけど、純粋な心で好きなことに向き合っているのか、とか、今起こっていることに無心になるほど全力でやれているのか、といった問いに関しては、凡人の私にも共感できるところがあって、おこがましくもピカソという偉人を少しだけ身近に感じることができた。
そういえば陶芸の先生も、「これは土遊びだから。どろんこ遊びの延長。難しいことを考えてはだめだよ」と教えてくださったっけ。
大人になるとどうしてもくねくねと難しいものに変えたくなってしまうようだ。
これはよくないくせだと思う。
多分物事はもっとシンプルで面白く考えるのがいい。